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精節録 —オナ禁で得た知見—

依存や自律というものと向き合う中で考えたことを書いています。もしも、同じようなテーマについて考えている方がいれば、僕もその一人なので、共に考えていけたらとても嬉しいです。

生き急ぐかどうか

何度も何度も繰り返すが

自分の人生は、自分の自由だ。

意思決定や選択、それに伴う責任、

全ては誰のものでもなく自分のものだ。

 

権力の圧力に騙されてはいけない。

自分がそれを無視するなら

その力は何の意味も持たないからだ。

 

精神的な部分まで暴力に屈してはならない。

心がそれに抗うことをやめたとき

強くなるための力すら失う。

 

せかしてくる何かを無意識に受け止めてはならない。

それを常識や当然という言葉で包み隠してしまえば

得体の知れない何かに、日々を奪われることになる。

 

こうした支配は、必ずしも悪意によって

もたらされるとは限らないところが怖い。

多くは善意のふりをしてやってくる。

 

勝手に傷口を広げてきては、

薬を売りつけてくるような手法が

世の中にあふれている。

 

考え方はだいぶこすいけれど、巧妙だ。

 

相手の思考を奪う最も単純な方法は、

相手を急かすことだ、それも無意識に。

 

いつだって落ち着いた方がいい。

急ぐようなことは何もないのだから。

自分で主体的に決めて急ぐ以外で、

その必要はどこにもない。

 

例えば

難しそうな言葉、知らない世界、

未来の予想、競争とランキングなど、

それをあたかも自信ありげに提示してこられると

知らず知らずに飲み込まれやすい。

 

目を瞑ろう。そして一度考えてみよう。

自分の想像しうる全てが

可能性として満ちあふれているはずの人生を

そんなことのために

1日でも犠牲にしていいのかどうか。

 

変だな、と思ったりする

その自身の直観を信じる以外に

自分の尺度を持つ方法はないと言ってもいい。

だから、急かされていると、

その尺度を創る前に

誰かのものさしで生きることに

なってしまうのかもしれない。

 

自分の人生は、まず自分のものだ。

そのよしあしは、自らの尺度によって規定しなければ

いつまでも地に足をつけることができない。

その地面は誰の支配も及ばない領域だ。

 

地に足をつけることで

当然重力はのしかかるだろう。

しかし、足の踏み場がなければ

壁を押すことも、荷物を持ち上げることもできない。

何よりも、道を歩むことができないのだ。

 

ある詩人の詩の中に

逆立ちした男が「地球を支えている」のだと

言っている情景がある。

 

この男を笑うことは、誰にも出来ない。

 

 

 
 

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