海揺録

依存や自律というものと向き合う中で考えたことを書いています。もしも、同じようなテーマについて考えている方がいれば、僕もその一人なので、共に考えていけたらとても嬉しいです。精節録というブログ名でした。

「大海を揺らし」

他の生物がただ生きることを目的に生きているように見えることと比較して、人類に悲しみや不幸が絶えず、生きる目的を見出すことがときに困難に見えることは、まさに僥倖と言っていい。 我々は主観的な「好き」によって公私ともに幸福を実現できるが、さらに…

運転。

車を運転していて事故に遭遇することもあるだろう。 対物か対人か。 他人の事故か、巻き込まれたか、巻き込んだか。 後続がいる高速道路上で急ブレーキを踏んだら、 ほぼ間違いなく事故になるだろう。 事故によって身体に障害を負ったり、 車両を破損させた…

棘を抜く

不思議なもので、妖術など到底信じがたいことなのだが、 人間の心理は、はたして妖術などよりも、 これを支配したり、苦しめたりだとか、 日常茶飯事なのだ。 「棘」のようなもので、 意識できるようになれば、自己の心理の違和感や、 他者の目の奥にある意…

先の先の先

目先の利益は誰でも見える。 目の前に落ちているコインは、 なるほど。早い者勝ちなのだ。 目の前に落ちてくるコインが、 地面に着く前に拾うには、 多少の先見性がいる。 まだ見えていないものを 見る力がなければならない。 これは、獣には難しい。 機を待…

不安と彫刻と希望。

感情が、現実を錯覚させることは多い。 いや、錯覚している現実こそが現実で、 「実際」という事柄こそ夢に近いのか。 そんなことは知らない。言葉遊びに近い。 薬に溺れた男が、幻覚をみるとき、 彼は確かに幻覚をみているのだ。 彼の恐怖は本物であり、 彼…

飢餓と遊び。

ちょうどよく誰かを従わせておくには、 彼が少し物足りないくらいのものを 「安定的」に供給してあげる仕組みをそこに維持するだけでいい。 次第に、彼は自らの羽を使って空を飛ぶことはやめる。 使わなくなった羽は埃を被る。 そして、埃を被るくらいならと…

依存と罪と。

依存と罪悪感は循環関係にある。 自分に罪を着せるものは、 常に自分より優位にあらねばならない。 厚顔無恥な貴族は、 奴隷を痛めつけることに 後ろめたさを感じないが、 奴隷は、痛めつけられている自分を省みて、 次は主人に目をつけられないようにと、 …

自信強奪犯。

川辺にころがっている石は、 まごうことなく石であり、それ以上でもそれ以下でもない。 おそらく似た形はいくつもあれど、 生成や形状や色彩など全てについて全く同じものなど2つとないはずだ。 上流の石は下流に比べて大きかったり、 下流の石は上流と比べ…

静謐と。

精神が安定してくるに従って、 人との関わり方というのはいたって淡白になっていく一方で、 親密さというものは、自分と相手の精神的な成熟加減に応じて、 深まるところまで深まっていく。 現実に生きている人々との間に醸成されていく「信頼」というものが…

思ったとおり、計算どおり。

統計的な推測を行うにあたって、どの確率を最大化するかという設定を間違わなければ、シミュレーションが現実に類似しているほど、それは未来のモデルになりうる。文字に起こせば、当たり前のことだけれど、その推測のシステムをつくろうという試みは、試行…

幸福錯覚

日々の食事で、様々な栄養素を身体に取り入れることができるとすれば、 主菜や副菜といったメニューに応じた食事バランスのなせるところだろう。 美味しいと感じることが、 すなわち適切な栄養の摂取と紐づいていたとすれば、 味覚を通して健康を維持する機…

「毒牙」を欲する自分への言葉。

心理的慣性とは本当に不思議なものだと思う。 あれほど欲していた「自由」を手に入れてから、 ryozan300.hatenablog.com 1年が過ぎた今、 現在の自分が「あの頃の自分」に無意識に戻ろうとしていることが 度々あったということに気が付いて、静かに戦慄が走…

先を望まない楽しさ。

期待とは未来に対するある種の欲望であるとするならば、 ときには未来の考慮を削りきることによって、 期待自体を思考から除外して、 楽しい今に集中することができるようになる。 「ああ、今日も楽しかった。」 これが繰り返されていけば、 その全体である…

他者否定の声。抽象化。評価の基準の改善。

前回の記事で「自己否定の声」について書いたので、 ryozan300.hatenablog.com 今回は、そのカウンターパート、他者否定の声について書いてみたいと思う。 何気なく日常を過ごしている中で、 他人の言動や雰囲気などについて、 妙に気になる時や、疑問に思う…

自己否定の声

最近、自分の「心のざわつき」について、 割と感受性が高まってきていて、 その中でも一番考えてみたかったことについて この記事に書いてみようと思う。 「自己否定の声が聞こえた時にしてみるといいかもしれないこと。」 ・いい部分に思い馳せる。 ・いい…

無欲の。

体験が夢を現実に引き戻す。 欲望は常に夢を見せる。 彼に「実現する力」があればあるほどに、 夢は現実のものとなり、 期待していた「報酬」は大抵思っていたよりも小さいことを、 繰り返し学習していく。 夢に進むそのうちに、 その進度に比例して「報酬」…

恋慕

小さな子供がハンバーグを食べている。 大好物のようだ。 半分近く食べたところで、 その子は手を滑らせて残りのハンバーグをふいにしてしまった。 泣き声が聞こえる。 それまでの笑顔を全て打ち消して、その符号を変換するかのように、 悲しみがその子を襲…

タイムスケールという変数

自分の普通が他人と異なっていようとも、 自分にとって自分は常に普通なのだ。 ふと考えてみる。「違い」について。 誰かと「違う」ということ。 とりわけ「考え方」 そしてその表出である「言動」 基本的に人々に備わっている趣向性から辿っていくと、 なる…

意味もなく哀しめる。

その主体が欲している状況に対して、 要因が設えられているのであって、 その状況自体は、 基本的に要因の有無に関わらず 発生していたものだと言っていいことが多い。 必然は、それゆえに必然であり、 そうしたとき、要因というものは、 その必然を我々が受…

比較の所在。消失。

我々は、類型化によって対象を認識することがある。 類型化とは、単純な分類と、 そして、次のフェーズとして、比較が試みられることが多い。 さらには、数値や指標的な比較にとどまらず、 そこに価値観が加わると、優劣判定が生じる。 「ある価値観における…

捉え方についての考え方

何かがあったとき、 どんな風に解釈を試みるだろうか、少し考えてみたい。 美化された特攻隊員の死に壮絶さを感じる一方で、 いじめられて自殺した学生の死に絶望を感じる。 同じ「死」というショックな出来事に対して、 その前提や状況によって受ける印象は…

必要以上を求める。情緒。

共に日常を過ごす人々がいるような状況というのはしばしばある。 一方、そうではない状況というのも、 その人の自立傾向や気質によって発生する。 自分以外の誰かに何かを要求することなく、 十全に人生を謳歌することは可能だ。 そして、このような自律的な…

虚勢の先。

権力、財力、魅力。 総じて、それに従おうとする他者を従わせることができる。 自ら従おうとしなければ、 それらから自由であることもできる。 できる、といったが、おそらくその状態がほとんどの場合好ましい。 生まれた環境によってはそれが難しい場合もあ…

充足について

ストイックな人々の一派には、 「満足するな」とか 「飢餓感をもて」とか どうも「不足」を強く感じ込むことで、 自らの行動を推進しようとする趣がある。 近頃の偉人の言葉にも、 そんな傾向が見えることがあって、 少し考えさせられた。 僕たちは何のため…

毎回と全体

今日の夕飯の献立を考える。 今日、食べたいものを考える。 メインが決まったら、 サイドメニューには何が合うか考えたりする。 あるいは、誰かと一緒なら、 その人の好きなものだったりを、 飽きがこないような形で調整したりする。 献立ができたら、材料や…

自由の狭窄

得体のしれない不安が顔を出すことがある。 それを細分化して根っこまで辿っていくと、 まったく合理的ではない思い込みが種になっていることが多い。 思い込みについて記憶を辿ってみると、 善意、悪意を問わず、人からの影響を受けていることに気が付く。 …

嫉妬の返却。

縦のつながりが跋扈する社会では、 人々は何かと上下関係を定義したがる。 それは、 目に見えるかたちの爵位であったり、 精神的な優劣感情であったりする。 面白いことに、 精神的な劣等感を抱いた場合、 それをうまく自分で受け入れられない人の中では、そ…

なんのために

なんらかの依存症について想定してみたい。 誰しもひとつくらいの経験があるに違いない。 「もう辞めよう」という決意が、 節制の始まりにあることは確かだけれど、 それ自体の強弱にほとんど意味がないことは経験的に明白だろう。 どれほどに強い決意であっ…

原因ではなく目的をみつめてみる。

大きな悲劇が訪れた時、 基本的に、その悲劇の原因について、 考察を繰り返すことになるだろう。 しかし、繰り返される考察は大抵堂々巡りであることが多い。 であれば、一旦「原因」的な思考をやめてみよう。 その悲劇の目的を推理することが面白いはずだ。…

正解がないのであれば。

何か「行動」を選択したとしよう。 「行動」の結果がランダムである場合、 それが善い方向に進む「行動」であったのか、 悪い方向に進む「行動」であったのかは、 「行動」が終わった後でしか、その判定はできない。 また「行動」の終了をある地点で測定して…