精節録

依存や自律というものと向き合う中で考えたことを書いています。もしも、同じようなテーマについて考えている方がいれば、僕もその一人なので、共に考えていけたらとても嬉しいです。

充足について

ストイックな人々の一派には、 「満足するな」とか 「飢餓感をもて」とか どうも「不足」を強く感じ込むことで、 自らの行動を推進しようとする趣がある。 近頃の偉人の言葉にも、 そんな傾向が見えることがあって、 少し考えさせられた。 僕たちは何のため…

毎回と全体

今日の夕飯の献立を考える。 今日、食べたいものを考える。 メインが決まったら、 サイドメニューには何が合うか考えたりする。 あるいは、誰かと一緒なら、 その人の好きなものだったりを、 飽きがこないような形で調整したりする。 献立ができたら、材料や…

自由の狭窄

得体のしれない不安が顔を出すことがある。 それを細分化して根っこまで辿っていくと、 まったく合理的ではない思い込みが種になっていることが多い。 思い込みについて記憶を辿ってみると、 善意、悪意を問わず、人からの影響を受けていることに気が付く。 …

嫉妬の返却。

縦のつながりが跋扈する社会では、 人々は何かと上下関係を定義したがる。 それは、 目に見えるかたちの爵位であったり、 精神的な優劣感情であったりする。 面白いことに、 精神的な劣等感を抱いた場合、 それをうまく自分で受け入れられない人の中では、そ…

なんのために

なんらかの依存症について想定してみたい。 誰しもひとつくらいの経験があるに違いない。 「もう辞めよう」という決意が、 節制の始まりにあることは確かだけれど、 それ自体の強弱にほとんど意味がないことは経験的に明白だろう。 どれほどに強い決意であっ…

原因ではなく目的をみつめてみる。

大きな悲劇が訪れた時、 基本的に、その悲劇の原因について、 考察を繰り返すことになるだろう。 しかし、繰り返される考察は大抵堂々巡りであることが多い。 であれば、一旦「原因」的な思考をやめてみよう。 その悲劇の目的を推理することが面白いはずだ。…

正解がないのであれば。

何か「行動」を選択したとしよう。 「行動」の結果がランダムである場合、 それが善い方向に進む「行動」であったのか、 悪い方向に進む「行動」であったのかは、 「行動」が終わった後でしか、その判定はできない。 また「行動」の終了をある地点で測定して…

好意の構造

好意について考えるとき、 好意を保持している主体と、対象となるものの、 このふたつの領域がある。 好意の中には玉石混合の感情たちが渦巻いているが、 単純化のためにこの細分化の区別はやめて一括りにしてしまおう。 さて、好意を保持している主体が取り…

恋愛感情

自分の性欲が自分の制御の中にあることが確かに自認できるとき、 好きな相手に対する恋愛感情は、その存在が明確になる。 言い換えると、 性欲が自己制御できるようになっていると、 好きな相手を目の前にしたとき、性欲で女性を欲しているのか、 そうでない…

「恨み」の行方と、振り返り

僕はあまり人との会話の中でストレスを発散するということをしたことがなく、 ピークまでそれが溜まってしまうと、まず体調が悪化し、 ひどい嗚咽と嘔吐に襲われ、 それよってストレスの発散が行われていた気がする。 難儀な性格で身体にはいつも申し訳なく…

集団訓練

僕たちは、 報酬系にひたすら無意識の「承認欲求」を埋め込む「訓練」に加えて、 集団心理によって「休息」に「罪悪感」を関連付ける「訓練」も行なっている。 個別的な「休息」が本当に「悪いもの」だと仮定してみよう。 そもそも、このように書き出すだけ…

訓練

産まれてから、 言葉を喋れるようになり、 それを見て周りが喜ぶ。 歩けるようになり、また周りが喜ぶ。 何らかの施設で午前中を過ごすようになると、 毎日のように「今日やること」が決められていて、 それをうまくやると、また周りが喜ぶ。 しばらくすると…

趣向への囚われ。

「好きなことをしたい」 「好きなことをしよう」 ここまではいい。 ここまではいいのだ。 これが価値観となり、 視野の狭い状況になることはまずい。 自らの趣向以外を拒絶し始めた時、 苦しみが同時にやってくる。 魚は、水の中でしか生きられない。 そこま…

刺激、まずは足下より。

刺激というものは、外部的なものと内部的なものに分けることができる。 内部的な刺激というものは、何をするでもなく、内側から湧き出ててくる、内発的欲求と結びついていて、これは自らの天性と行動が一致した時や、自らの思想と世界の摂理が一致した時など…

だましだまされ

僕は多分馬鹿なのだと思う。 ただ、それは、もう仕方ないことだとも思う。 そもそも人を騙すつもりもなければ、 人を騙しているつもりもなく、 自分が騙されていることにも気が付けない。 愚かとは、誰からの視点であろうか。 自分で自分のことを愚かだと思…

正しく生きようとすること。

道徳的な正しさを測定することは常に困難で、 最低の定義は、 その人の立場で変わる。 しかし、君は君自身を後悔しない生き方をしたいと望むだろう。 それが自分の正しさであり、 その誇りを守ることを忘れない人に、 それを信じて生きている人に、 僕は賞賛…

不足、過分

十分過ぎるということがある。 そんな時に忘れてしまいがちなことは、 それが十分過ぎるということ、それ自体だ。 悪いことは、たった少しであっても 過敏に記憶に刻まれることがあるにも関わらず、 自らにとって良いことは、 十分過ぎるほどのことであった…

不幸に陥る「優しさ」と、雪だるまの下の散弾銃

自分で自分のことを「優しい」人間だと思っている時ほど、 人に舐められている可能性に気がついた方がいい。 自分の中に鬱憤を堆積させながら、 誰かに何かをしてあげるということは、 優しさではなく、迎合という言葉が適切だろう。 不満があるならば、 そ…

残酷さ

理想と現実を混同させると、生き方を間違える。 少なくとも、僕は、現実について、ひどい勘違いをしていた。 僕は、自分の体内にいる微生物たちが、 今この瞬間に死んでいくことに何の感情も持たない。 その事実を知っていたとしても、 自分の存在によって、…

心理的に健康な状態で生きるために

心理的な安定がなければ、どんなに優れた環境も地獄に変わる。心理的な安定さえあれば、どんなに過酷な環境でもさして問題にならない。 だから、環境を改善しようとする前に、自分の心理的な安定感や安心感を養うほうがよい。 傷ついたままの心を放置せず、 …

憎しみや怒りは、水のように低いところに流れていく。

他者の敵意が自分に向けられていると感じる時、 あるいは、実際に敵意を示されている時、 大抵の場合、その敵意は、本来向けられるべき方向を向いていない。 憎しみや怒りは、社会生活の中で、表現されにくい感情に違いない。 多くのそのような感情は、 感情…

自由と勇気

自らの信念などが、社会や周囲の風潮と一致しないような時、自らの正しさを確信していたにせよ、妥協や遠慮を考えることがあるかもしれない。 そうした多くの場合、勇気という言葉によって、解決を見出すことができるだろう。 さて、君の人生はまず君のもの…

好きなことを仕事にしよう。何も諦める必要はどこにもない。

僕は、前に進むことも多いけれど、悩むことも多い。 そんな中で、確かな経験から確信していることがいくつかある。 でもきっと、これは理論の話ではないのだろう。 おそらく信念の話だ。 まず自分のために生きているか、それが一番最初に問いたいことだ。 自…

粗探しする人々を

何かと粗を探してくるようなタイプの人というのは、いろんなタイミングで出会う。 一緒に何かをしていくには、こちらの熱量を減退させていくこともあるから、何となく距離を置きたくなるけれど、その人たちの力を借りると非常にベストマッチな事柄というのが…

牢屋のベットの上で。

牢屋で生まれた男は言った。「この世界は甘くない。現実は厳しい」と。新しく入ってきた囚人の一人はこの言葉を聞いて驚いた。この監獄にはいくらでも抜け道があり、ここから出ようと思えば、少し穴を掘るだけでよかったからだ。どうやら監視人は多忙で、誰…

夢はポケットの中に

さて、性欲と向き合うためにはどんな方法があるだろうか。 ひとつに、性的な欲望のレベルを下げていくということがある。例えば、僕の場合、食事に対する欲望のレベルというものは、生活が他のことで満たされていくことでどんどん下がっていった。睡眠に対す…

自由なればこそ孤独。

虚構的な人生を振り切って、自由への道を一歩一歩と進んでいく覚悟を決めたとする。その道のりは大抵長く、そして何よりも孤独だ。 そこにある孤独というのは、精神的な孤独であり、誰にも理解されない旅が永遠と続くことを意味している。 もしも自由を幻想…

愚凡でもいいから。愚凡であるからこそ。

同じ歳月を過ごしているのに、同世代の人々の中でこうも能力や知性に差が生まれるのは非常に面白く、そしていつも現実の残酷さを表している。 どんなに人々が皆同じように生活を過ごしていようとも、諸々の条件における分布は広がる。異常値があり、平均があ…

広大な情報の海と、それぞれの質の話。

情報の質は、その情報の発信者たちの気質も含めた情報の性格といった部分に大きな影響をうけやすい。 料理の話について、政治の話を語るような仕方で記述されていることはほとんど見たことがない。動植物の情報が、難民の情報と同じような雰囲気で綴られるこ…

欺瞞的な多様性

基本的に優れていると感じるものに対しては、それが「多様なものだ」という言い方をせずに、自らもそれに近づこうとして、自分の目指す先にそれらを置くということをする。一方、優れていないと感じるものに対しては、それも一つのあり方なのかもしれないと…